日本の歌・シリーズNo.2『日本人の愛のかたち』インタビュー
企画構成・出演(ピアノ) 河原忠之さん

河原 忠之さん

河原 忠之(かわはら ただゆき)

日本を代表する歌手や器楽奏者が共演者に挙って指名する人気ピアニストで、オペラやコンサートの指揮者としても注目される存在。「太メン」男声オペラ歌手4人との重量級ユニット"IL DEVU(イル・デーヴ)"のメンバー。国立音楽大学卒業、同大学院修了。国立音大及び大学院准教授、新国立劇場オペラ研修所音楽主任講師。

日本歌曲というジャンルは現在、音楽界においてどのような状況にあると思われますか。

日本におけるクラシック音楽の歴史は、「西洋にならえ、西洋に追いつけ」から始まりました。そして次第に、世界的なコンクールで優勝する指揮者や演奏家、世界に通用する作曲家が登場したりして、現在の日本の音楽界は、クラシック音楽の分野において、ほぼ西洋に追いついた状態であると思います。そこに至るまではずっと国外に目を向けて走って来たわけですが、それが一段落して日本を改めて振り返ったとき、日本人として日本歌曲を歌うことの大事さが改めて浮き彫りになってきたというのが、今の日本の音楽界の状況ではないでしょうか。たとえば、留学生は留学先で現地のさまざまなことを吸収しようと必死になりますが、肝心の日本についてはよくわかっていなかったという経験をすることがあります。僕自身もそうだったのですが、日本を知らなければ世界は語れないということに、日本を外から見ることで初めて気づくのです。実際、僕と同年代やそれより少し後の世代の歌手たちは、オペラで活躍しているような人でも、「やはり日本人として日本歌曲はレパートリーとして持っていなければいけないし、こういう素晴らしい歌があるということをもっと広めていかなければいけない」という認識があるようです。もちろん、僕自身も日本歌曲をとても大切にしています。

都民芸術フェスティバルでは、「日本の歌・シリーズ」を「室内楽」のジャンルの中でご紹介しています。「室内楽・シリーズ」ではこれまで管弦楽の演奏会がほとんどでしたが、声楽の公演ではどういったところが見どころ・聴きどころとなるのでしょうか。

河原 忠之さん

声楽はその名のとおり、言葉があることが大きな特徴ですので、言葉と音楽がどのように融合していくかが最大の聴きどころです。もちろん声楽を室内楽としてとらえることもできますが、本当にデリケートな心のひだまで表現するには、ピアノと声楽の一対一という形がいちばん向いているのではないかと感じます。僕はアンサンブルピアニストですから、このシンプルなスタイルの持つ大きな表現力、訴える力を常々実感しています。

今回のテーマを「日本人の愛のかたち」とされたのは、どういった経緯や思いからですか。また、曲目はどのように決められたのでしょうか。

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会招致活動の際、「おもてなし」という言葉が注目されましたよね。もともと日本には、相手の感情を汲み、相手の気持ちに寄り添い、相手が気持ちよく過ごせるように自分が動くという文化があります。そうすることが結果としては自分をも幸せにするという考えですね。これも一つの愛の形ですから、こういった文化を音楽で表現できたらと思い、今回のテーマとしました。 選曲については、会場に足を運んでくださる方の多くは、いわゆる名曲を聴きたいと思っていらっしゃるだろうと考え、主催の日本演奏連盟からのリクエストもあり、團伊玖磨先生の『夕鶴』のアリアをはじめ日本歌曲の代表的な作品を盛り込みました。さらに去年が山田耕筰先生と信時潔先生の没後50年だったので、この二人の作品にも焦点を当てて選んでいます。

歌手はソプラノの佐藤美枝子さん、テノールの大槻孝志さん、バリトンの坂下忠弘さんです。歌手の方々についてご紹介ください。

佐藤さんのことを僕は日本歌曲を歌うならナンバー1のソプラノだと思っています。日本歌曲ではメッツァ・ボーチェのような抑えた声や、ピアノ、ピアニッシモのように小さな声で表現するという技術が求められます。弱い声というのは、実はフォルテ以上にパワーがなくては出せない声で、そういうボリュームで表現するというのは難しいのですが、佐藤さんは非常に高い技術を持っていらっしゃいます。ブレスの長さも驚異的で、小さな体のどこにその力が秘められているかといつも感嘆します。大槻さんはイル・デーヴというユニットで一緒にやっている重量級の仲間です(笑)。オペラの第一線で活躍されていて、明るく力強い声で、表現力も見事なテノールです。また、日本歌曲が好きで定期的に歌われています。バリトンの坂下さんもこれまでに何度かご一緒させていただいたことがありますが、やはり日本歌曲への造詣が深く、日本語を大事にされている方です。実力はみなピカ一で、日本歌曲の歌い手としてそれぞれ信頼できる方々ですが、この顔ぶれで同じ舞台に立つのはたぶん初めてではないでしょうか。

日本歌曲の魅力とは、どのようなものでしょうか。

河原 忠之さん

外国語の感情表現は「これはいい」とか「これは好き」とかストレートですから、歌詞にもそれが反映されています。一方、日本語は代替を通して表現することが得意です。日本歌曲では自然に感情を投影することが多く、自然からのアプローチでいろいろなものを表現しています。たとえば、とある花をきれいだと愛でている歌だとすると、単にその花の美しさを歌っているのではなく、「かつてこの花が咲いていた時期にあったある出来事を思い出すので、ますます美しく感じる」という思いが込められている、といった具合です。こういった表現は、間違いなく日本歌曲の魅力といえるでしょう。また、歌詞が日本語であることで、日本人である聴く側も肩ひじ張らずに音楽を受け入れ、全身でとらえることができます。ステージで伴奏していても、歌手が日本歌曲を歌い始めると会場の空気がいきなり変わるのがわかります。日本人が日本人の歌う日本語の歌を聴くと、DNAが震えるとでもいうのでしょうか。理屈ではないのですね。一語一句が体に染み入る、頭ではなくもっと深い部分で感じることができる、日本人にとって日本歌曲とはそういうものなのです。
実は、日本歌曲は声楽家にとって、とても難しいんですよ。普段話している言葉を歌詞としてそのまま歌っても、日本語なのに通じるとは限らないのです。言葉を伝えるためには、西洋音楽のテクニックを少し乗せて伝える必要があります。それは日本歌曲の難しいところであると同時に、独特の魅力ともいえるかもしれませんね。

観客の方へのメッセージをお願いいたします。

一流の歌手たちによって歌われる素晴らしい曲を、そのまま味わってください。難しいことは考えなくても、本物の歌手による本物の音楽はしっかり心の奥まで届きます。僕はところどころで歌詞の説明などをしますが、ほかに堅苦しいことなどは一切ないので、肩の力を抜き、リラックスして楽しんでいただければと思います。一度会場で聴いていただければ、きっとまた聴きたいと思われますよ。