2019都民芸術フェスティバル 公式サイト
第50回 東京都民俗芸能大会より
『東京花祭』出演団体インタビュー
廣木 穣(ひろき みのる)
廣木 穣さん
東京都出身。2歳の時に両親に連れられて、初めて奥三河の御園花祭を見る。毎年御園花祭を訪れて、5歳の時に飛び入りで小鬼を舞わせてもらう。6歳の時に御園の方からのお誘いで花祭前の一週間の舞い習いに参加して花の舞を舞わせてもらう。8歳の時に、御園小学校が閉校してしまうという事で、一年間御園に山村留学をする。12歳の時に両親が「東京花祭り」を立ち上げる。2019年度、父から「東京花祭り」の代表職を引き継ぐ。御園花祭には小学1年生の時より、30年以上参加させて頂いています。
廣木 房枝(ひろき ふさえ)
廣木 房枝さん
東京都出身。東京芸術大学邦楽科(箏曲専攻)卒業後音楽活動をしていくなかで、民謡や太鼓に触れる機会があり各地の芸能を学びたいと思っていた。現在の東久留米市と小平市の市境に移り住み、自宅前が程よい大きさの公園だったため、地域創りの一環として公園で遊んでいる子供達と太鼓の練習をし「盆踊りの夕べ」を開催。子供達やその親御さんたちと各地の芸能を学び、実践してきた。東京花祭発起人、総務担当。
第50回 東京都民俗芸能大会 ~人と神と動物たち~
今回上演される「東京花祭り」についてお伺いします。花祭とはどのような行事でしょうか。
花祭とは愛知県の奥三河という地域で約700年前から続いている芸能です。奥三河では農業や林業が営まれており、太陽の力が欠かせません。そこで太陽の力がいちばん弱まる冬に、湯を沸かした釜を中心に、そこに八百万の神々を呼び、人と鬼の舞によって神様に楽しんでいただくことで弱くなった太陽のエネルギーを復活させるという、人と神様で夜通し楽しむ祭りです。子どもの舞から壮年期の舞まで年齢ごとに異なる舞を舞い、その周囲から掛け声をかけて舞を盛り上げます。年を重ねて舞わなくなっても太鼓や笛などの「楽」や歌の「歌ぐら」などの音楽を担当するので、幅広い年代の人が参加できる祭りです。
なぜ愛知県で伝承されてきた「花祭」が東京に伝承されたのでしょう。
房枝さん
私たちが住んでいる地域は新興住宅地で、住人同士のつながりがあまりなく、祭りや芸能もありませんでした。そこで毎年盆踊りを行うようになり現在まで続いているのですが、子どもたちが伝統的な芸能や音楽に触れながら育つ環境があればという願いも抱いていました。そんな時、花祭は小さな子どもから参加できる祭りだという話を聞き、愛知県東栄町御園の花祭を見に行ったのが1983年のことです。以来毎年祭りを見に行くようになり、舞を気に入った息子が周りで踊っているのを目にした現地の方が、部外者にも関わらず当時5才だった息子に舞を教えて下さり、祭りでも舞わせて頂くようになりました。そうやって次第にご縁が深まっていく中で、子供が舞う「花の舞」を舞う子供達が殆どいなくなる状況を目の当たりにし、東京の子供達で「花の舞」を継承しなくてはと思うようになったのです。色々悩んだ結果、現在の花太夫さんをはじめ、村の方々に「花の舞」を教えていただき、祭りをしたいとお願いしたところ、『本気でやるなら』と東京で花祭を行うことになりました。そうして1993年から「東京花祭り」を毎年開催し、現在にいたります。
花祭りは国の重要無形民俗文化財にも指定されていますが、愛知県の「花祭」と「東京花祭り」には違いがあるのでしょうか。
大きな違いは2点あります。まず、愛知県の花祭は神事の要素が非常に濃いのですが、東京花祭りはそこまで濃くないことです。現地では神社の氏子たちで祭りをしますが、私たちは「花祭が好き」という合言葉で集まっているので神職もいません。ただ、祭りの際は現地の御園花祭保存会の神職の方を招き、神様を呼んでいただいています。次に、舞の時間の長さが圧倒的に違います。御園では舞が約18時間続き、ほかの地域では舞が丸1日以上続くというところもあるほどですが、東京花祭りは11時から19時までの8時間です。この2点が大きな違いと言えます。
御園花祭保存会との交流は現在も続いているのですか?
毎年11月に行われる御園の花祭に参加させていただいています。子どもたちも経験を重ねることが大事だということで毎年舞わせてもらっているのですが、現地では一晩中舞が続きますから夜中に出番となる子どもは眠くてしょうがありません(笑)。慣れてくると夕方に仮眠を取って備えるなどできるようになりますし、夜中はどんどん人が集まって盛り上がるので、子どもたちも注目される中で元気な舞を披露することをとても楽しみにしています。また、現地の花祭から学ぶべきことはまだまだたくさんあるので、夏には2泊3日の夏合宿で御園を訪れます。舞を教わるだけではなく、川遊び、流しそうめん、バーベキューなどでもてなしてくださいます。10月には御園花祭保存会の若連という若いメンバーを東京に招き、講習会という形で舞を教えていただいています。
昭和初期、奥三河には23か所で花祭行なわれていたそうですが、人口減少による人手不足で私が現地に通うようになった頃には17か所、現在は14か所まで減っています。そういう点からも、花祭とは次世代に対する思いが凝縮された、農村地区では不可欠な祭りだったのかもしれません。だからこそ長きにわたって続いて来たのでしょう。東京花祭りは、地方で存続が困難になっている伝統芸能が都市部に移っているという新しい伝承の形といえます。
東京花祭りの会は何名いらっしゃるのですか。また、練習はいつ、どのように行っているのでしょう。
現在のメンバーは約50名です。子どもの頃に参加して一度抜け、社会人になって仕事が落ち着いてから再び参加するという人もいるし、その人の子どもが参加するというケースもあります。一時は子どもだけで30名ほどいた時期もあった一方で、部活や就職などで若者がどんどん抜けてしまった時期もあります。祭りの核となるのは若者なので、どうすれば若者が集まる場になるのか、われわれだけでなく現地とも話し合って行き着いたのは、余計なことはせずしっかり舞を教えようということでした。そうして花祭り本番でその舞を披露したとき、大人がたくさん掛け声をかけてあげたら若者たちはうれしいものです。そうやって舞の楽しさを知った子は、どんなに忙しくても時間をやりくりして練習に参加しようとしますし、こちらも日曜の夜など若者が参加しやすい時間帯に練習することもありました。そういう工夫が実り、最近は4歳から25~26歳までまんべんなく層の厚い構成となっています。
東京花祭りは12月第2土曜に開催するので9月から練習を開始します。舞は3~4人1組で、組ごとに練習するときは私の実家にある稽古場で、全体で練習するときは地域センターで行います。これまで舞は私の父や私だけが教えていたのですが、私たちが若者に教え、若者が子どもに教え、そして子どもがさらに小さな子に教えるという関係が確立されれば、東京花祭りはますます現地の花祭に近づくだけでなく、末永く続いていくと思います。
今回の都民芸術フェスティバルで上演される「花祭」の演目の内容と、その見どころを教えてください。
現地の花祭では40種類の舞がありますが、東京で舞っているのは20種類ほどです。そのうち大きな見どころとなるのは、『榊鬼』という火を使った舞と周囲に湯を振りかける『湯ばやし』という舞です。都民芸術フェスティバルはステージで舞を披露するのでこれらの演目は上演できません。そこで今回は花祭に欠かせない舞である『花の舞』『三ツ舞』『山見舞』を披露します。『花の舞』は4歳から小学生が舞うかわいらしい子どもの舞です。『三ツ舞』は3人の若者が棒塚という道具を持って舞うエネルギッシュな舞です。『山見鬼』は山を割って生命の再生を図る鬼の舞で、鬼は神様なので厳かな雰囲気があり、若者らしさが全面に出ている『三ツ舞』と相反するものが一度の公演に凝縮されているのが今回の見どころです。音楽を担当する楽は神座(かんざ)に座り、15~16人が参加します。歌は短歌のように五七五七七の歌詞になっていて、上の句と下の句にわかれています。
都民芸術フェスティバルのウェブサイトをご覧のみなさまへメッセージをお願いします。
私が花祭を初めて見たとき、度肝を抜かれました。東京とは違う文化で、厳かな雰囲気とみなぎるエネルギーの両方が混在しています。より多くの人たちに会場に足を運んでいただき、花祭のエネルギーを肌で感じていただければうれしいです。
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