劇団1980第68回公演『素劇 あゝ東京行進曲』 稽古場訪問&インタビュー|2019都民芸術フェスティバル 公式サイト

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劇団1980第68回公演『素劇 あゝ東京行進曲』
稽古場訪問&インタビュー

柴田 義之(しばた よしゆき)

柴田 義之さん
柴田 義之さん

1952年福岡県に生まれる。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科卒業。在学中に出会った藤田傳を師事し、1980年に劇団1980を結成する。その後、藤田の作・演出のハチマル公演の殆どに出演。2000年文化庁在外研修でブラジルに留学。2010年ルーマニアでの一人芝居フェスティバルで最優秀男優賞を受賞。こまつ座・俳優座劇場などのプロデュース公演に出演し表現の深さを模索している。

劇団1980第68回公演『素劇 あゝ東京行進曲』

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今回、なぜ『あゝ東京行進曲』という演目を取り上げられたのでしょう。

『あゝ東京行進曲』
PDF(676KB)

この芝居は1980年に、僕らの先輩にあたる劇団が作った作品です。そのグループが解散した際、これだけ面白い作品も消えてしまうのは惜しいということで、僕らにやらせて欲しいと頼んで上演したのが1993年のことでした。1度きりの公演だと思っていたところ好評を博し、あちこちから「来てくれ」と声をかけていただき、この25年間でブラジルなどの海外も含め400回以上の公演を行ってきました。今回は2013年以来6年ぶりの公演となります。
今回また『あゝ東京行進曲』を取り上げることになったのは、再演を望む声があったことと、演出の関矢幸雄さんが俳優座の養成所から演劇の道に入った人ということもあって「俳優座劇場で再演したらどうか」と。また、単なる女性歌手の一代記ではなく、男性社会の中で戦ったひとりの女性歌手の生き様というとらえ方をすると、従来と同じ脚本でも2019年という現代にアピールすることができるのではということで決まりました。

「東京行進曲」が発売されたのは昭和が始まってまもない昭和4年(1929年)でしたが、約90年後、平成最後の年となる2019年に上演を決められたのには何か狙いがあるのでしょうか。

この芝居のテーマは、初演の時から一貫して「日本最初のレコード歌手となった佐藤千夜子の一代記を作るというより、その時代の中で生きた人間たちの息吹のようなものを芝居にしたい」ということでした。佐藤千夜子という女性の一生を借りながら、昭和という時代の中の普通の一般の人たちがどんな風に生きたかという部分に光を当てたかったのです。そこには平成の世が終わる今の時代の人たちの中にも、共通した何らかの思いがあるのではないかと考えています。

今回、「素劇(すげき)」という様式での上演ですが、これは演出の関矢さんが提唱された表現様式と伺っています。素劇がどのようなものなのか教えてください。

何もない舞台に箱と紐で舞台装置を作り、107の登場人物を15人の出演者が演じ、50曲の歌を口伴奏で歌い上げる舞台です。関矢さんは「舞台上の装飾を外すことで生まれる観客の想像力の中にこそ、一番の表現の源があるのではないか」と、この演劇スタイルを考えました。もともと日本には昔から「素踊り」「素浄瑠璃」といった芸能がありましたから、素劇の素地はあったわけです。
映像の場合、例えば「豪華な家」を表現しようとすると視覚で見せることになるので、おのずと「豪華」を限定することになってしまいます。しかしそれが小説だったら、読者は文章で書かれている「豪華な家」を自分なりに想像することができますよね。そして自分の生み出した世界に感動したり、自分の豊かな想像力があることに気づいたりする。関矢さんは舞台でもそういった想像力を引き出し、発見、感動してもらいたいと考え、素劇という表現にたどり着きました。僕らもその思いには非常に共感しています。実際、どの国、どの地域で公演しても、僕ら役者が一様に黒い衣裳を着ていても、観劇された方からはさまざまな色に見えたり、ダイレクトに感じるものがあると言われたりします。

稽古風景1

なぜ箱と紐というふたつの小道具を使われるのでしょう。

関矢さんがいろいろなモノで試みて、この素劇では箱と紐の造形がしっくりくると考えたのでしょうね。いたってシンプルな小道具ですが、扱う役者側にとっては結構大変なんですよ。歌ったりしゃべったりしながら箱をきっちり揃えて置くんですが、ほんのわずかでもずれるとそこに影ができて、「壁」を作るはずが「箱」に見えてしまうんです。紐だって、ちょっとしたタイミングがずれただけで、ぴんと張り詰めていなければならないところがたわんでしまう。厄介な小道具ですが、そのたった2種類をうまい具合に動かすことで、あれやこれやそのシーンごとに合ったものを作り出していきます。

素劇を演じる難しさはどんなところですか?

役者というのは、自分の中で考えたり思ったり計算したものを、どう表現するかという点に頭を使っていきます。一方、素劇でも考えたり思ったりしますし頭も使いますが、それだけでは駄目というか、それを伝えるある冷静さがなければ表現にならないということを常に思い知らされます。だからさまざまな要素がすべてぴたりと合ったときの心地よさは最高なんですが、そこに至るまでの稽古の最中だとかは、気持ちよくなれない分しんどいものがありますね。

稽古風景2

では素劇の魅力とはどのようなところにあるのでしょうか。

俳優の仲間内では「60代、70代が俳優の華」だとよく言います。だから今の僕はやっと順番が回ってきたみたいな気分ですね(笑)。この年になると、自分の考えていることや思っていることを表現できるようになったり、観客と少し繋がるようになれたり、機微を感じることが増えます。「きっちりやらないと伝わらない」という部分をクリアするからこそ自分の思いが客席に伝えられるのですが、素劇はいつも「本当にお前はちゃんと伝えているのか」と、自分に問い直してくれるものです。
その素劇における最大の喜びは、観た方がみなさん喜んでくれることです。素劇では人間に対する思いが箱と紐の中に凝縮されていますが、25年間この芝居に携わってきて、その思いは日本のみならず世界のどこにでも伝わると体感しています。たとえば2013年は、最後の公演先が沖縄の離島でした。島々には一年の内にたくさんのお祭りがあり、島に住む人々には、唄や踊りなど様々な芸能が日常の中にあります。そんな方々が僕らの芝居を観て涙を流してくれたり、感動してくれたり、元気になってくれたりしました。それを目の当たりにした時も、本当に役者でよかった、素劇をしてよかったと思いました。

都民芸術フェスティバルのウェブサイトをご覧の皆様へ一言メッセージをお願いします。

『あゝ東京行進曲』はたくさん笑っていただけますし、元気になっていただけますし、心にものすごく深く感じるものがある芝居です。そして、観ることで自分自身がいろいろなものを発見する芝居でもあります。さらに発見した自分に対する感動も生まれることでしょう。そういう濃く深い2時間を過ごしていただけます。小さなお子さんからお年寄りの方まで、各々が持っている世界の中で多様な発見がある芝居をぜひ観にいらしてください。

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