2018都民芸術フェスティバル 公式サイト
第49回東京都民俗芸能大会より『沖縄エイサー』出演団体インタビュー
中野チャンプルーフェスタ(中野区)
長谷部 智明(はせべ ともあき)
長谷部 智明さん
1961年 東京中野生まれ中野育ち
有限会社明白 代表取締役
<立飲みパニパニ><とり☆パニ>を経営。
現在はほぼ毎日、立ち飲みパニパニのカウンターに立つ。
中野北口昭和新道商店街 会長
中野チャンプルーフェスタ実行委員長
上原 慶(うえはら けい)
上原 慶さん
1980年 沖縄県沖縄市生まれ
株式会社ナカノF 代表取締役
合同会社CLAMP 代表執行社員
沖縄県内でも「エイサーのまち」として知られる沖縄市に生まれ幼少よりエイサーを見て育つ。
上京後、2005年に地域貢献というエイサーの根幹精神普及のため真南風エイサーを立ち上げる。
中野チャンプルーフェスタ副実行委員長
中野区エイサー連合会 代表
東京中野真南風エイサー 会長
第49回 東京都民俗芸能大会 花風流(はなふりゅう)~うたとおどりの競い~
中野チャンプルーフェスタとはどのようなイベントなのでしょう。
長谷部 中野チャンプルーフェスタとは、中野駅北口側で毎年7月に開催される沖縄エイサー踊りの披露を中心とした祭りです。沖縄料理の屋台なども数多く並び、沖縄にいるような気分を味わえるイベントで、これまでに13回開催されました。
中野の隣駅である高円寺には阿波踊り、その隣の阿佐ヶ谷には七夕祭りという、それぞれ約60年続く中央線名物の祭りがあります。遠方からも多数の来場者が訪れ、大変なにぎわいを見せます。一方、中野は駅の規模でいえば高円寺や阿佐ヶ谷よりも大きいのに、区外からも足を運んでもらえるような祭りがなく、中野生まれ中野育ちの私としては常々、中野でも名物になるお祭りができないものかと思っていました。なかなかコンテンツが思い浮かばなかったのですが、中野駅北口の昭和新道商店街にある沖縄料理店が昔から沖縄県人会の活動としてエイサーを踊っていたので、では商店街でも踊ってみようかと、2004年に「昭和新道夏祭り」を開催しました。これが前身となり、翌年の2005年から中野チャンプルーフェスタとして毎年開催されるようになったのです。
中野チャンプルーフェスタの特色を教えてください。
長谷部 まず、創作エイサーではなく伝統エイサーの祭りであることが挙げられます。また、踊り手に合わせて観る側も移動するので、お客さんと出演者が一緒に同じ空間で1つの景色を作っているような感じになります。その一体感はすごいですね。ちなみに2006年には第2回東京商店街グランプリ・イベント事業部門で中野チャンプルーフェスタがグランプリを受賞、昨年には第62回沖縄全島エイサーまつりの最終日「全島エイサーまつり」特別枠に招かれ、沖縄県外の団体として初めて出演しました。
上原 中野チャンプルーフェスタはあくまで地域イベントを前提としているので、沖縄の有名アーティストを積極的に招致し集客を狙うといったことはしていません。地域の人たちを応援するイベントであり、「中野から発信する沖縄」であることにこだわっています。
伝統エイサーと創作エイサーの違いは何ですか?
上原 エイサーとは、琉球文化圏で踊られている盆踊りにあたるものです。戦後は沖縄本島中部地方のコザ市周辺地域で特に盛んに踊られていました。旧盆の3日間に各地域内を地域ごとのエイサー団体が夜通し踊りながら練り歩くという行事で、必ず地方(じかた)が三線(さんしん)を引きながら念仏歌や民謡を唄い「生音」で踊ります。これが伝統的なエイサーです。一方、現在の時流に合わせた創作エイサーというジャンルもあり、Jポップなどなじみの曲をカラオケで踊り、本来は男性だけが叩いていた太鼓を女性も叩けるなど裾野が広いのが特徴です。創作エイサーは国内外問わず沖縄の観光PRの一翼を担っています。創作エイサーはサークルとして活動するのであまり地域を持ちませんが、伝統エイサーは「地域があってのエイサー活動」という考えがあるので地域貢献活動を重視している点でも相違があります。
中野チャンプルーフェスタは中野にどのような効果をもたらしたのでしょう。
長谷部 「7月の海の日はチャンプルーフェスタ」ということは、中野では浸透しています。沖縄料理屋さんも増えました。また、親がエイサーをやっているのを見て子どもも始めるというケースも出てきました。第1回の中野チャンプルーフェスタから13年を経て、二世の踊り手が現れるようになったのは感慨深いものがあります。
上原 大学生をはじめとした20代は地域以外での活動が増える時期ですから、地域で「ぽっかり抜けている世代」だというのがほとんどの地域の共通点だと思いますが、エイサーの団体の場合は沖縄の青年会活動にあたるので、20代で入ってくるメンバーは多いのが特徴です。エイサーに入会した彼らが地域のボランティア活動などにも参加してくれることによって、中野では「ぽっかり抜けている世代」を埋めてくれています。子どもたちは親の世代に小言を言われるのは面白くなくても、ちょっと年の離れたカッコいいお兄さん・お姉さんの言うことはよく聞きます。このような「縦の流れ」ができ以心伝心がスムーズにできるようになったのは、中野チャンプルーフェスタのおかげですね。
伝統エイサーの継承にはどのような課題がありますか。
長谷部 エイサーはメロディラインとリズムの取り方が独特で、実は難しい踊りです。沖縄出身者は経験がなくてもDNAなんでしょうか、「裏で拍を取る」ということが考えずにでき、すぐに踊れます。しかしほかの人はそうはいかず、楽しくなる前に辞めてしまう人もいます。それにわれわれが伝統エイサーにこだわると、太鼓を叩きたいという女性はみな創作エイサーに行ってしまいます。また、エイサーでは地方が歌と三線の双方を担当するので、「歌だけ」「地方だけ」という希望には応えられず、しかも地方はコンダクターでもあるので、まずは踊りを経験する必要もあります。つまり沖縄と同じ伝統エイサーをやろうとすればするほど、どんどんハードルが高くなってしまうのです。最近は、より多くの人が参加できるよう、下げられるハードルは下げようという話をしているところです。
上原 もちろん「創作なくしてエイサーあり。伝統なくしてエイサーなし」とも言われているので伝統エイサーでしか語れない魅力もあります。私が地元沖縄で踊っていた伝統エイサーは夜通し踊るのですが、夜中に見るエイサーは見えないなにかと共存するような空気をまとい寒気がするくらい感動します。ある著書でその様子を「石膏像が踊っているよう」と表現されることもありました。踊り手は、余力が尽きて無表情になり無駄がない踊りになるため、そこにたどり着いた時、その瞬間でしか見れない美しさが見れます。そこまで来ると踊り手は魂が飛んでしまっているような、あの世とこの世の狭間でご先祖様と交信しているような感じになります。この独特の世界を創造できるのが伝統エイサーです。
都民芸術フェスティバルでの見どころや楽しみ方をお聞かせください。
上原 練り歩きでの演舞の場合はお客様と一緒に作り上げていくという一体感と臨場感が楽しめることが特徴ですが、舞台の場合は「踊り」を見ていただくことになります。そのための演出や踊りも細かく合わせるので、まずはエイサーの踊りそのものをお楽しみいただけたらと思います。今回は私が代表の「東京中野真南風エイサー」が出演します。小学1年生からエイサーを始め6年間踊り続けてきた子たちがこの春中学生になるため、小学生として最後のイベントでこの舞台で踊らせていただきます。彼らにとっても良い思い出になるよう、彼らが引き立つ演出も考えています。またエイサーは太鼓ではなくヘーシ(掛け声)でリズムを取るのが特徴なので声を出すことがとても重要です。踊り手の踊り以外の声の掛け合いなどもぜひお楽しみください。
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