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第48回 都民寄席 出演者インタビュー
柳亭市馬(りゅうてい いちば)
柳亭市馬さん
落語家。大分県生まれ。
1980年に五代目柳家小さんに入門し、前座名「小幸」に。1984年、二ツ目に昇進し、「さん好」と改名する。その9年後の1993年に真打に昇進し、四代目「柳亭市馬」を襲名。2008年には『山のあな あな なぇあなた』(ポニーキャニオン)にて歌手デビューも果たす。2010年、落語協会理事に就任。2014年、柳家小三治の勇退に伴い、同協会発足以来、最年少で会長に就任する。主な持ちネタに、『高砂や』『青菜』『堪忍袋』『味噌蔵』『掛け取り』などがある。
「第48回都民寄席」羽村公演に出演。
第48回都民寄席
市馬師匠は高校卒業と同時に、五代目柳家小さん師匠の弟子になられたそうですが、入門までの経緯をお聞かせいただけますか?
私は子供の頃から落語が大好きで、噺家(※1)になりたいという夢を持っていましたが、江戸っ子がなるものだと思って、半ばあきらめていたんですね。ところが高校2年のとき、指導を受けていた剣道部の先生が、東京教育大学(現・筑波大学)で剣道部監督をしていた、剣豪・中野八十二先生の教え子であったことが、運命を大きく変えました。中野先生は、自宅に道場を持つほど剣道好きだった師匠の小さんと、非常に懇意にしていたんです。
当時、60歳を超えていた小さんは、「もう弟子は取らない」と宣言していたのですが、剣道部の先生経由で私のことを知った中野先生が、小さんにお願いしてくださったのです。師匠曰く、「剣道をやるならよろしい」ということで、私の知らない間に入門が決まっていました(笑)。
落語協会発足以来、最年少で会長に抜擢されたそうですね。現在、会長としてどのようなお仕事をされているのですか?
落語協会は、古典落語の継承と研究発表、鑑賞会の開催をはじめ、いくつかの業務ありますが、協会長としての主な私の務めは、真打披露(※2)、襲名披露を行う際の興行で、お客さんに口上を述べるなど、式典等で代表として挨拶をすることですね。協会では、離島など寄席を生で見られない地域に足を運んだり、小・中学校、高校の生徒さんたちの前で落語を披露して楽しさをわかってもらうといった、普及活動も積極的に行っています。
芸能に携わる方々は、ご自身の芸を磨くために、習い事や芸術をたしなむと聞きますが、市馬師匠にとっての芸の肥やしは何でしょう?
若い時分に稽古したのは、日本舞踊と寄席囃子で使う太鼓で、必須ではなかった笛もずいぶん稽古しました。まだ、落語の仕事がない頃ですからね、太鼓や笛を扱えると良いアルバイトになって、ずいぶん助かりましたよ(笑)。よく「歌舞伎を見に行け」とも言われましたね。歌舞伎も落語と同様、見ている人と見ていない人では、目の付け所がまったく異なるし、同じことをしゃべっても、お客さんへの説得力が全然違うんです。ただ、我々は噺家ですから、一つ事を突き詰める必要はありません。広く浅く見聞することが大事だと思っています。
落語ブームと言われる昨今、寄席に足を運ぶ若者も増えたと聞きますが、若い世代のファンに対して、落語の魅力を伝える工夫はされていますか?
落語の世界も若い噺家が増え、同世代のお客さんを連れてきます。若いお客さんは旧態の落語を楽しめるだろうか。古い噺家は、若い世代のために何ができるのだろう…。そう考えたことはありますけれども、落語というのは、特定の年代をターゲットにしづらい商売ですから、つまるところ、「信念を持ってやってきた自分の落語を、普通にやるしかない」と結論しました。噺家によっては、代々先輩から伝わる落語をそのままの形で話す人もいて、それを語り継ぐことも非常に値打ちがあるんです。
ただし、そのまま噺(はなし)を聞いたのでは、今の時代のお客さんが違和感を覚え、落語そのものを楽しめない場合があります。それでは意味がないので、古い言い回しやイントネーションをわかりやすい表現に変えるなどの工夫も、毎日のように行っています。「昨日はこうしゃべったけれど、今日はここを変えてみよう」とかね。すると、若手噺家が得意とする今風の落語が好きだったお客さんが、巡り巡って古い噺家のファンになることがあるんです。そういう方は結構多いですよ。
お客さんが違和感なく噺に入っていけるように、お弟子さんたちをどのように指導されていますか?
弟子には、高座に上がっている私を見て、「息をとってくれ」と常々言っています。つまり、間合いを考えた噺をすることを学んでもらうわけです。あとは、噺の幹の部分を押さえ、自然に噺をする修行が大事です。わかりやすく言うと、ここで突拍子もないことを言えば、お客さんにウケるとわかっても、あえて言わない勇気を持つこと。私もね、お客さんに喜んでもらいたいから、つい口を滑らせてしまうことがあって、都度反省しています。この誘惑に打ち克つ修行は死ぬまで続くでしょうな(笑)。
2020年に向けて、日本文化への関心が高まっています。落語は日本文化・芸能の中で、どのような位置付けになりますか?
落語は、その時代、時代を生きる噺家が、同時代を生きる聞き手に向けて、会話形式で噺を進める話芸です。狂言、能、歌舞伎などの伝統芸能とは趣を異にしますから、古い時代のやり方を踏襲しなければいけないことは一つもありません。私が弟子に稽古をつける際も、基本となる決まり事をしっかり教えた後は、各自、思い通りにやってもらいます。逆にね、師匠のやることを1から10まで真似る弟子がいたら、私は嫌ですよ(笑)。ですから、同じ演目を話す噺家が仮に100人いれば、100通りの噺ができます。一人ひとり、噺の咀嚼のしかたが違うからです。そういう意味では、落語は非常に自由度の高い芸能と言えるでしょうね。
文化という視点に立ち、江戸時代から伝わる噺を聞くと、人の心の奥底にある心情や、人情というものは、時代を下ってもほとんど変わりがなく、21世紀の日本人の心にも生き続けているのではないかと思います。だからこそ、古い時代の噺でも共感できますし、大いに笑うことができるのです。
今回、「第48回都民寄席」羽村公演で披露される『味噌蔵』は、市馬師匠お得意の演目の一つだそうですね。ぜひ、見所を教えてください。
『味噌蔵』は、躾が厳しくケチな旦那が、家を留守にした隙に、奉公人たちが腹いせとばかりに酒盛りをする噺です。奉公人たちは、「生涯、こういうことは二度とないよ」と言いながら、羽目を外してどんちゃん騒ぎをするのですが、「やっぱり悪いことはできねぇなぁ」という展開になっていきます。「こんなタイプの人、いる、いる」と、登場人物に実在の人間のイメージを重ねて見るのも面白いかもしれませんね。
初めて落語を見る初心者の方が、寄席に行く前に知っておいたほうが良いことはありますか?
予備知識を持って寄席を聞くことは悪くはないと思いますが、むしろ、噺を聞いて笑ったり、手を叩いたりしている周囲の雰囲気に、身を預ける気持ちで楽しんでいただきたいですね。「隣の人が笑っているから、ここでは笑わないといけない」などと思う必要はないし、筋書きや話の落とし所も、最初からわかろうとしなくていいのです。極端な話、「この落語家さん、歩き方が格好良いわ」といった、噺に関係のない感想を持たれても構いませんよ。
また、落語で使われる道具は、手ぬぐいと扇子のみで、派手な演出は何もありません。それだけに、聞き手の想像力を大いに掻き立てます。気づくと、頭の中に登場人物の人間像ができ上がっていて、噺の世界にどっぷりとつかっているでしょうね。それが落語の醍醐味の一つ。興味を持たれたら、いろいろな落語を聞いて、噺家それぞれの持ち味を楽しんでほしいですね。
都民寄席を楽しみしている観客の方にメッセージをお願いします。
都民寄席は、江戸の頃より庶民に親しまれてきた寄席の魅力を、身近に感じることができる催しで、毎年たくさんの応募がある人気公演です。我々噺家はもちろんのこと、漫才、漫談、曲芸師など、いわゆる色物と呼ばれる芸人さんたちも同様に、観客の皆さんに喜んでいただくことを一番に考えて舞台に上がっていますので、心置きなく楽しんでいってください。
(※1)噺家(はなしか)とは落語家のこと。
(※2)新真打の昇進披露。真打(しんうち)とは東京の落語家の階級の名称で最上位にあたる。
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