第46回 東京都民俗芸能大会 ―江戸前の芸能―
一般社団法人江戸消防記念会 「木遣り・梯子乗り」 インタビュー
一般社団法人江戸消防記念会 専務理事 髙柳博一さん

髙柳博一(たかやなぎひろかず)

一般社団法人江戸消防記念会 専務理事。江戸消防記念会 第四区 副総代。
昭和30年東京都文京区に7代続く鳶職人の家庭に生まれた〔江戸っ子〕である。
幼年の頃から、祖父、父の影響で鳶職文化に触れながら育った。
平成元年、江戸消防記念会に入会、平成14年副組頭、平成24年組頭に昇進し、平成26年、江戸消防記念会専務理事に抜擢された。その間、江戸火消の伝統と文化継承のため、記念会会員を対象とする木遣り、梯子乗り等の技芸伝承者及び指導者として現在に至っている。また、「江戸の鳶木遣」保存のため「木遣親聲会(きやりしんせいかい)」会長のほか各種要職を兼ねている。

  

「梯子乗り(はしごのり)」について教えてください。

水止舞

享保4年(1719年)、時の町奉行・大岡越前の唱導で、江戸に自衛組織の「いろは四十八組」の町火消が誕生しました。その後、幾多の"江戸の大火"に立ち向かい、庶民から"江戸の華"として親しまれたのです。ちなみに、組は戦後までに東京23区内に87組まで増えています。
ひとたび火災が起こり、火の見櫓(やぐら)の当番がこれを見つけると半鐘を鳴らします。すると、普段は魚屋や呉服屋などをしている町火消が組頭の家に集まり、組の旗印である「まとい」や道具を持って出動するわけですが、この時に辻々に梯子を立てて係が登り、火災現場を案内したのが「梯子乗り」の起こりです。
もともと鳶職人は、梯子を使って作業を行っていました。鳶の仕事は高い所で危険な作業をするので、機敏さや慎重さ、勇敢さが求められます。火消の仕事も同じです。ですから、鳶であり火消でもあるこの職人たちは、そのための訓練として普段から梯子乗りを行っていたと伝えられています。
その後、時代とともに梯子乗りに当初の役割はなくなりましたが、人に見せる伝統芸能として保存されてきました。現在は、1月6日頃の出初式と、5月25日の消防殉職者慰霊祭で披露されています。

「木遣り(きやり)」とはどういったものでしょうか?

鎌倉時代を起源とする説がありますが、元来は作業唄です。材木などの運搬や、建物を建てる際の地固めなどの力仕事を複数の人員で行う時、その力を一つにまとめるための掛け声や合図として唄われたものです。"あー""えー"と声を出す「節もの」と、歌詞がある「唄もの」があります。唄ものは「真鶴」のほか、「地・くさり物」「追掛け物」「手休め物」「流れ物」「端物」「大間」など8種110曲あるとされていますが、口伝が途絶えたものが多く、この私が唄えるのは30曲ぐらいしかありません。
現在では、神社仏閣などを建て直す際の地鎮祭や棟上げ式、結婚式といったお祝いの場や、お葬式にも呼ばれて唄うことがあります。同じ節でも、お祝いと弔いでは、その場に相応しい調子で唄い分けます。
「木遣り」は、町火消たちがこの力仕事を頼まれた時に唄ったわけです。

東京都民俗芸能大会での見どころはどのようなところですか?

髙柳博一さん

「梯子乗り」は、三間半(約6.4m)の梯子の頂上にヘルメットもかぶらず命綱もつけない人が登って、「遠見(とおみ)」「八艘(はっそう)」「鯱(しゃち)」「背亀(せがめ)」「腹亀(はらがめ)」「肝つぶし」といった技を行います。詳しくはわからなくても、歌舞伎役者が見得を切るように、両手両足をぴっと伸ばして止まる瞬間があります。そこがまさに技の見せ所なので、そのタイミングで拍手していただきたいですね(笑)。
また、「木遣り」は、当日「田唄」という唄ものをやる予定です。「君が田を 我が田をならせ 君が田をならせ」という歌詞ですが、「近所の人間同士、お互い助け合って仕事にがんばろう」といった意味なんですね。できれば、そうした意味を理解して聴いていただけると、さらに聴き応えがあるのではないかと思います。