バリトン 上江隼人さんにインタビュー

藤原歌劇団創立90周年記念公演「ファルスタッフ」

巨匠ヴェルディ最後の作品は、後世のオペラに大きな影響を与えた喜劇

数多くのコンクールで優秀な成績を収め、名実ともに日本を代表するバリトンのひとりである上江隼人さん。今回は藤原歌劇団創立90周年記念という節目の公演で「ファルスタッフ」の大役を担います。作曲者ヴェルディへの思いや作品の魅力などを語っていただきました。

上江隼人(かみえ はやと)

1979年生まれ。東京藝術大学音楽学部声楽科首席卒業、同大学大学院首席修了。2005年に第34回(財)江副育英会オペラ奨学生として、2008年に明治安田クオリティオブライフ文化財団の奨学生としてイタリアへ留学。2006年ディマーロの“Val di sole”イタリア音楽コンクール優勝。第24回五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。2019年藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」ジェルモン役、「ランスへの旅」アルヴァーロ役、2020年には「リゴレット」にタイトルロールで出演。NHKニューイヤーオペラ・コンサートには2015年より出場。藤原歌劇団団員。

老騎士が引き起こす騒動が笑えるヴェルディの喜劇

──オペラ「ファルスタッフ」のあらすじを教えてください。

「ファルスタッフ」はシェイクスピアが題材になっているオペラの演目で、このオペラの主人公の老騎士の名前でもあります。大酒飲みで女性が大好きなファルスタッフがある時お金に困り、裕福な女性ふたりに恋文を送って難を脱しようとします。ところがこの女性たちが結託し、ファルスタッフを懲らしめようという話になります。その結果、ファルスタッフは川に落とされてずぶ濡れになったり、扮した妖精たちにつつかれたりと散々な目に遭うのですが、「この世はすべて冗談、最後に笑った者こそが本当に笑う」と笑って大団円、というお話です。お酒にも女性にもだらしがないファルスタッフなのにどこか憎めないキャラクターであることが、このオペラの明るさの源となっています。最後に人が死んでしまう悲劇のオペラも数多くありますが、「ファルスタッフ」では誰も死なない、まさに喜劇のオペラです。

作曲家としてのすべてを詰めこんだオペラ、だから難しい

──「ファルスタッフ」の魅力はどんなところでしょう。

この作品はヴェルディが人生の最後に書いた作品です。ヴェルディはバリトンを主役に置くオペラをたくさん残していて、ファルスタッフはバリトンの集大成ともいえる役でもあります。ヴェルディのバリトンを主役としたオペラのすべてがこの作品に集約されているので、「ファルスタッフってヴェルディ本人のことなのでは?」と思うほどです。というのも、当時の作曲家は劇場からお金をもらって作曲するというスタイルだったのですが、「ファルスタッフ」についてはすでに地位も名声も得て隠居状態だったヴェルディが、完全に自身の趣味として、自身の技術や手法を後世に残すためだけに書き上げた作品です。ですから観る側は面白いと思いますが、歌う側はものすごく大変です。オーケストラの各楽器と歌詞がすべて複雑に絡み合っていて、各プレーヤーには超絶技巧が求められます。さらに音の一つひとつすべてに意味がある。文句なくヴェルディの作品の中で一番難しいでしょう。「ファルスタッフ」がなかったらその後のオペラは違う方向になったのではないかというくらい、オペラ史において大きな役割のある作品だと思います。

何度挑んでも完成形はないだろうと思わせる偉大な作品、そこが「ファルスタッフ」の大きな魅力です。客席のみなさまには、ぜひ矢のように飛び交う言葉の応酬や耳に残る印象的な旋律などをお楽しみいただければと思います。

見どころ・聴きどころ、目指すファルスタッフ像

──目指す「ファルスタッフ像」を教えてください。

実は27歳のときにもファルスタッフ役をさせていただいたことがありました。当時は大学院を出たばかりで、今思えば無謀もいいところです(笑)。当時の自分なりに精一杯歌わせていただきましたが、自分でも足りない、欠けているものがあると感じていました。もちろん今も完璧ではありませんが、初めての「ファルスタッフ」から10数年、日本やイタリアで学び、歌って来て経験を重ねたからこそ、今回はどのようなファルスタッフになるのか、自分でも楽しみです。

では今回はどう歌うのか。ヴェルディはバリトンを主役とするオペラが多いため、私も歌わせていただける機会が幾度となくありました。そうしてヴェルディの作品に触れているうちに感じたのは、「言葉の力はすごい」ということです。「ファルスタッフ」の前作「オテッロ」から、ヴェルディはそれまで大事にしてきたメロディーやイタリア語の美しさといったいわゆる「イタリアオペラの伝統」から、言葉の力、お芝居の力を使って物語を進めるようになります。「そういう風に歌わなければいけない」という書き残しをしたぐらい言葉を大事にした作曲家ですので、私も「言葉を大事にして歌う」ということを意識して挑みたいと思っています。

オペラという総合芸術から「光」を感じ取って欲しい

──イタリア語がわからない人でもイタリアオペラを楽しむコツなどはありますか。

イタリア語がわからないと楽しめないというわけでは決してありません。かつてのイタリアでは、オペラの舞台で喜劇を観るのがステータスであり、日常でもありました。今の日本でいえば、大阪の人が「吉本新喜劇」を観て笑うことを当たり前のこととして日々の暮らしに取り入れている、そんな感じでしょうか。「ファルスタッフ」には喜劇を楽しむ伝統が詰まっているので、内容の詳細まで把握できなくても面白さやおかしさ、愉快さが伝わってきて笑えるはずです。肩肘はらず、気負わず楽しんでいただけると思います。

また、オペラは総合芸術です。音楽はもちろん、舞台も衣裳も演出も、それぞれのスペシャリストが力を合わせて作り上げる結晶のようなものです。その結晶からなにか「光」を感じることができれば、それはもうオペラを楽しめているなによりもの証だと思います。もちろん、事前にあらすじの予習をしておけばさらにスムーズでしょうし、実際に会場でオペラ鑑賞をされて興味を持ったら、「ほかの演出ではどんな風なんだろう」とか「ほかのオペラも観てみたい」など、新しい世界が開けるかもしれません。まずは劇場に足を運んでいただき、生の迫力を体験していただくことが、オペラを楽しむ一番の近道だと思います。

歌にのせて作曲家の思いも客席へ届けたい

──オペラという舞台芸術をどうとらえていらっしゃいますか。

16世紀末にイタリアで生まれたオペラは王侯貴族だけでなく一般市民も巻き込み、19世紀〜20世紀にはドイツやフランスをはじめほかの国でも多大な人気を誇りました。おそらく当時の人々にとって、オペラは最も「わくわくするもの」だったのではないかと思います。人気の作品は現代でも名作として上演されています。私も同じ作品の上演を重ねていくほど、「このときヴェルディは何を感じてこう書いたのだろう」など、作曲家の思いもメッセージとして感じることができる時があります。

ヴェルディは生涯で27のオペラを作りましたが、それぞれの作品にヴェルディの思いがぎゅっと詰まっています。歌っていてそこを読み取れると面白いですし、聴いている方にも伝わるととても幸せな気持ちになり、この仕事をしていてよかったと思います。

──都民芸術フェスティバルのウェブサイトをご覧のみなさまへ、メッセージをお願いします。

ヴェルディのオペラはほとんどが悲劇ですが、「ファルスタッフ」は喜劇ですので、純粋にお客様が笑えるような作品になっています。ファルスタッフの生き方、哲学、人としての強さ、そんなところを見ていただければと思います。ぜひ、楽しみにしてお越しいただければうれしいです。



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