特集7:高円寺という街にとって阿波おどりとは何か|2017都民芸術フェスティバル 公式サイト

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高円寺という街にとって阿波おどりとは何か

野口 金雄さん
冨澤 武幸(とみざわ たけゆき)さん

冨澤 武幸(とみざわ たけゆき)

NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会専務理事・事務局長
飛鳥連会長
東京都杉並区高円寺出身。地元商店街で漬物店を営む両親のもとに生まれ、幼少時から阿波おどりを始める。連の代表として東京高円寺阿波おどりの運営にも携わっていた経験もあり、2012年事務局長に就任する。

第48回東京都民俗芸能大会―おどけと笑い―

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東京都民俗芸能大会では46回にわたり東京都内に伝承されている民俗芸能を紹介してきましたが、東京以外の各地からも多くの人々が集い生活する現在の東京の在り様をふまえ、前回大会から新たに「東京で継承する日本各地の芸能枠」が設けられました。今回はその枠のひとつとして、徳島県の阿波おどりを継承されている東京高円寺阿波おどり振興協会の皆様にご出演いただきます。高円寺阿波おどりの概要をご紹介いただけますでしょうか。

民俗芸能チラシ
PDF(1.10MB)

高円寺の阿波おどりは昭和32年(1957年)にまちおこし事業として始まり、昨年で60回を迎えました。空襲で焼け野原になった高円寺は戦後10年を経てようやく町が復興してきました。戦前から文学者が多く暮らし「阿佐ヶ谷文士村」が形成されていた隣町の阿佐ヶ谷では、中心部が空襲の被害を免れ、しかも七夕祭りも始まり、文化的にも経済的にも高円寺より豊かでした。夏の七夕祭り開催時には人がみんな阿佐ヶ谷に流れてしまっていた状況を何とかしなければいけないと話していた時、ちょうど高円寺では商店主の2代目たちが青年部を結成することになり、その結成記念も兼ねてイベントをやろうということになったのです。
最初に案が浮かんだのは、御神輿と盆踊りでした。今のように情報を豊富に集められる時代ではありませんから、それくらいしか思いつかなかったんです。ところが御神輿は高価なもので買えない、盆踊りは商店街の道幅が狭いうえに坂道だからだめだと。そんな時、誰かが「徳島には道を踊りながら歩けるものがあるらしい」と言い、それなら高円寺でもできるんじゃないかという話になったのです。それが阿波おどりでした。
そうはいっても当時は誰も阿波おどりがどんなものかわからないので、なんと日本舞踊の師匠に教えを請うことにしたそうです。でもその方も阿波おどりはどんなものだか知らなかったんじゃないかと思います。教則本を片手に、「まず顔を白塗りにしなさい」と(笑)。そんな感じだったので、阿波おどりと名乗るのははばかられ、最初は「ばかおどり」と称していたんです。その後、やはりきちんと「阿波おどり」をやりたいということになり、都内在住の徳島出身の方に指導を受けて、昭和37年から「高円寺阿波おどり」という名称になりました。

なぜこれほどまでに大きな規模で開催されるようになったのでしょう。

最初はJR高円寺南口駅前のパル商店街という250mの商店街のみでスタートしました。阿波おどりの持つ潜在的な陽気さ、おおらかさが人々に受けたのか、南口の商店街、北口の商店街と開催エリアが広がり、さらにまちづくりで道幅18mの道路もできると、そこも会場となり踊るようになりました。こうして点から線へ、線から面へと拡大していきました。これほど多くのお客様がいらしてくださるようになったのは、各地からアクセスしやすい東京での開催だったこともあるでしょうし、普段は真面目な顔をした商店街の店主たちが踊っているという日常性と非日常性のギャップも面白かったのかもしれませんね。また、道の往来を踊れるという魅力もあり、踊りたいという人も増えていきました。

高円寺や地域の人たちにとって阿波おどりはどのような存在になっていると思われますか。

最初は客寄せ事業として始まった高円寺阿波おどりですが、次第に「阿波おどり」そのものに魅了される人がでてきました。ある蕎麦屋のご主人は閉店後に夜行列車に乗って徳島まで行き、現地で主催者の許可を得て阿波おどりを8ミリフィルムで撮影、その後上映会を開いて撮ってきた映像をフィルムが傷むほど繰り返し見て勉強し、自分たちもこの本場の迫力に近づきたい、踊りと共にまちも成長していこうと考えるようになりました。こうして次第に芸能色が強まると、独立連が生まれ、それらの連が徳島の有名な連と交流を重ねることで、高円寺の阿波おどりのレベルも上がっていったのです。現在、高円寺の連は規模の大きいものだけでも31、杉並区全体では44あります。また、高円寺阿波おどりに参加してくれる連は80、1日の踊り子は約5500人で、今なお毎年増加しています。「高円寺のような狭い商店街でもできるのなら」と、各地の商店街でも阿波おどりを取り入れるようになっています。

高円寺阿波おどり

NPO法人化した経緯と今後の目標をお聞かせください。

高円寺阿波おどりは長年、パル、純情、ルックの3商店街が中心となって運営してきました。バブル崩壊以降は商店街にテナントが増え、今では店舗の8割がテナントです。そうなるとマンパワーも金銭面での支援も厳しくなり、今までのように商店街だけでこの行事を支えることが難しくなってきました。そこで、商店街だけでなく地域や参加連が一体となって支えていける体制をつくろうと、NPO法人として東京都の認証を受けたのです。
阿波おどりを始めた最初の目的である「まちおこし」はほぼ達成されました。今後は高円寺というまちの価値を上げることを目的としていきたいと考えています。今では100万人もの観客が狭いエリアに集中しますから、ものすごい量のゴミが出ますし、屋外での行事なので大きな音も流れます。一方、地元には静かに暮らしたいという方もいます。また、広範囲の地域でしく交通規制で不自由を強いられる方もいらっしゃいます。そういう方々も含めて、「いろいろあるけれど、やっぱり阿波おどりがあってよかったね」と思っていただけるまちづくりを目指したいのです。やはり一番に考えなくてはいけないのは、地元の方の満足度と地域ブランドの向上だと思っています。

本場の徳島とはどのようなお付き合いがあるのでしょうか。

マンパワー不足で困っていた時、徳島県出身の学生をリーダーとして自主的運営組織が発足し、ゴミの回収などで大いに活躍してくれました。初代リーダーの学生は「徳島は阿波おどりこそ知られているが経済的には思わしくない。だから自分は将来公務員になって、阿波おどりを通じて徳島と各地を経済的にも文化的にもつなぎたい」と話していました。彼は現在、徳島市役所に勤務していて、毎年、徳島の大学生を対象としたボランティアツアーを企画し、バスで高円寺にやってきます。そして1日目はゴミ回収のボランティア、翌日は踊りに参加しています。都内に暮らす徳島出身の学生の多くは、地元の徳島では阿波おどりへの参加経験がないという人が多いんです。ですから阿波おどり初体験が地元の徳島ではなく高円寺、という学生も実はたくさんいるんです。最近は外国人観光客も多いので、大学生に英語のボランティアをお願いして阿波おどりの魅力を大いに語ってもらえないかなと考えています。

高円寺阿波おどりの魅力とはどんなところだと思われますか。

「人」ですね。ボランティアの初代リーダーのように、徳島からわざわざ学生を率いてボランティアのためにやってくるとか、お金では買えないものです。ある外国人カメラマンは高円寺の阿波おどりが好きで、ただ参加するだけでなくパンフレットの英訳などを手伝いたいと、高円寺に転居してきました。踊り子も踊りだけでなくこの行事を支えるという志がある人が多く、人の魅力が高円寺阿波おどりの魅力につながっています。

高円寺阿波おどりに参加したい人は、どうすればいいのでしょうか。

気に入った踊りやおはやしの連を動画サイトなどでも見て探し、これぞという連の練習に見学に行ってください。高円寺の31連の中で高円寺在住の人は3割ほど、残りの7割は他の区市町村や県の方ですから、どの連も歓迎してくれます。連は1つの社会なので、居心地がよく、自分のライフスタイルに合ったところを選んでいただくといいと思います。

観客として楽しむ場合、楽しみ方のコツや見るべきポイントなどがあればお聞かせください。

阿波おどり当日の高円寺は人があふれているので、踊りをじっくり見たいならば舞台公演がおすすめですね。また、夏になると東京の各地で阿波おどりが開催されていますので、こうした所で、阿波おどりの日以外に観ていただくのもおすすめです。阿波おどり期間でしたら、前夜祭という位置付けで行われる「ふれおどり」が比較的空いていて穴場です。高円寺というまちの雰囲気や熱気そのものも楽しみたいという方は、本番の2日間にいらしてください。

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