俳優 北村総一朗さんにインタビュー
劇団昴公演 『一枚のハガキ』俳優 北村総一朗さんにインタビュー
劇団昴公演 『一枚のハガキ』新藤兼人監督の最後の映画を舞台化した「一枚のハガキ」。戦争の愚かさを二度と繰り返さない──その思いを演劇ならではの切り口で表現します。演出を担当する北村総一朗さんから、熱いメッセージをいただきました。 劇団昴公演 『一枚のハガキ』 公演情報はこちら
北村総一朗 (きたむらそういちろう)
俳優。高知県出身。劇団雲を経て、1976(昭和51)年から劇団昴に所属。経験を重ねた味わいのある演技には定評があり、最近は舞台の演出にも力を注いでいる。初演出作は新藤兼人監督原作の「ふくろう」。舞台以外にも、数多くのテレビドラマや映画で活躍中。
──「一枚のハガキ」はどのような作品ですか?
新藤兼人監督が99歳でメガホンを取った最後の映画「一枚のハガキ」は、人間の存在を奪い、狂わせ、全てを破壊する戦争の残酷さと愚かさを訴え、女性の生命力を讃美する感動の人間ドラマです。まさに、新藤映画の集大成であるといっても過言ではありません。
戦争で召集された松山啓太が戦友から託された、一枚のハガキ。物語は、このハガキを通して、啓太自身や戦死した友人の家族の崩壊と再生への道のりをていねいにつづっていきます。
私は、国内外で高い評価を受けてきたこの作品に巨匠が込めた、反戦への強い思いに胸を打たれました。「一枚のハガキ」は、生きる喜びや人間の尊厳とは何かを改めて問いかけてくるのです。
──あらすじや見どころを教えてください
戦争末期、松山啓太ら100名の中年兵士が召集されました。彼らの赴任地は、上官のくじ引きで決められるのです。行き先がフィリピンと決まり、生きて帰れないと悟った森川定造は、妻の友子から送られてきた一枚のハガキを啓太に託し、「自分が戦死したら、妻に『このハガキは確かに読んだ』と伝えて欲しい」と頼みます。過酷な戦況によって、生き残った兵士はわずか6名のみ。そのうちの一人である啓太は、終戦後、ハガキを届けるために友子の家を訪ねます。しかし、そこで見たのは、戦争で解体された出征家族の悲惨な姿でした。
戦争という得体の知れない闇に閉じ込められていた思いの丈(たけ)を激しく噴出させる台詞に込められた、女性の執念と苦悩が、観る者の胸を鋭く突き刺す、非常に演劇的な作品であるといえるでしょう。
──新藤兼人監督の「ふくろう」に続いて、「一枚のハガキ」を舞台化した思いとは?
人間は忘れる動物です。とはいえ、人間の生きる権利をわしづかみにしてゴミ屑のように捨て去った戦争の悲惨な記憶は、決して忘れることはできません。戦争体験者の私はなおさら、戦争という人間の犯した許しがたい狂気の沙汰が二度と起きないよう、次世代へと繋いでいく責務があると感じています。
しかし、そのためにドラム缶の底を激しく叩いてヒステリックに反戦の感情をぶちまけるのでも、敗戦の無念に滂沱と涙を流すのでもなく、戦争という得体の知れぬ暗夜の底に突き落とされた人間が、崩壊から再生へと必死に這い上がる生命力を賛美し、その様(さま)を粛々と再現したいと考えています。いま、私は演劇をする有り難さをしみじみと噛みしめています。
──映画が原作ですが、映画と生の舞台のいちばんの違いは何でしょうか?
映画は監督の主観でつくられ、観客は監督が選びとった映像だけを観ます。当然ながら、観客の反応が画面の中の俳優に伝わることはなく、映像は観客の有無にかかわらず進行していきます。つまり、画面上に状態の変化は起きません。
一方、演劇は観客がいて初めて成立します。なぜなら、舞台と観客の有機的な繋がりこそが演劇の命だからです。観客と共に創られていく生の舞台は、刻一刻と状態の変化が生まれ、進化し、醸成されていきます。
演劇の真髄は、俳優の生きた表現が観客一人一人と共鳴し合い、同時多発的に劇場を包み込む厳粛な一体感にあります。
──お客様へのメッセージをお願いします
コロナ禍による閉塞感の中、わざわざ劇場に足を運んでくださる観客の皆様のご支援やご声援には、唯々頭を低くして感謝するばかりです。
確かに、コロナ禍の下での舞台創りは予期せぬ困難に見舞われ、難渋しています。しかし、ここを先途と奮い立ち、憂鬱な日常にひとときの灯りをともして、明日への希望を客席の皆様と共有できるよう、日々稽古に励んでおります。
何はともあれ、オミクロンの襲撃に打ち勝ち、無事に幕を開け、皆様と劇場でお会いできるよう祈ってやみません。